今年も始まったと思ったら早くも二月となりましたが、
皆さん如何お過ごしでしょうか。
先日、国内配信となったインディーレトロ風RPG、
「YIIK:ポストモダンRPG」(以下YIIK)をプレイしてさくっとクリアしたので、今回も感想など書き起こしておきたいと思います。
PS4やスイッチで出たのですが、例によってPS4版をプレイしています。

http://yiikrpg.com/
本作YIIKは、トレイラー等のビジュアルを観ればすぐに
「ああ~この手のインディー感あるレトロリスペクトなやつか」となるかと思うのですが、
その実90年代のJRPG等日本製ゲームや、ポップでシュールな雰囲気なんかを独特の世界観で引用しミックスしたサブカル系作品・・・
つまりは、この手のインディー作品によくありがちなリスペクトなやつという事です。
「アンダーテール」の作者の犬として一躍有名になったトビーフォックスが曲なんかで参加しているのもあって、
これも「マザー」リスペクトとかそんな感じのゲームなんだろうなぁと思った方も少なくないでしょう。
しかし本作はそれだけじゃない。
90年代頃のRPGをリスペクトしたと言うよりは、
90年代頃のRPGのダメさを持っていると言った方がいいでしょう。
PS1のRPGで痛い目を見たことがある人、集まれ~!!
全編を貫くテンポの悪さこの作品は今時のゲームとして見るとかなりテンポの悪さが目立っていると思います。
画面切り替え毎や戦闘前後のローディングなんかはまだ百歩譲ってPS1のRPGリスペクトだからと納得する余地もあるのですが、
問題は各種操作のレスポンスに地味に遅延があり気持ち悪いところです。
RPGは戦いや装備や会話など、何度も繰り返しを行う事の多いゲームです。
ちいさなラグや躓きが積み重なってストレスになるというのはよくあることですが、本作も例に洩れません。
しかし最もテンポの悪さを生んでいるのは本作のキモとも言える戦闘に他ならないでしょう。
本作では各キャラクターがそれぞれ独自の通常攻撃法を持ち、その全てがアクション性のあるミニゲームで成否が決まるシステムになっています。
例えば主人公はレコード盤が回ってタイミングよくボタンを押すという、
分かり易く言えば「シャドウハーツ」のジャッジメントリングみたいな感じですね。
他の仲間も大体同じようなタイミング系になっています。
これが結構厳しくて、全員分の攻撃&敵の攻撃の回避分、毎回気合いを入れて取り組まないといけません。
全員のミニゲーム入力に時間が掛かるのと、
敵が結構気軽に複数攻撃してくるので、戦闘毎の消耗は結構馬鹿にならないものがあります。
(しかもその上回復持ちまでいたりして、戦闘は結構長引く事が多い。)
オートバトルなどRPGに当然のようにあったシステムはカバーされておらず、
救済処置は時間を遅らせて入力を簡単にする「タイムゲージ」を無限にするオプションだけなのですが、
そのスロー機能を使う事によって更にテンポが遅くなるというのは言うに及びません。
それと、テンポと言うか面倒な要素としてレベルアップの仕様があります。
RPGで一番の至福と言えるレベルアップがめんどいってどういうことだよと思うかもしれませんが、
とにかくレベルアップの仕組みが面倒と言う他無い手順になってて、ここはどうしても理解に苦しみます。
しかも順当に敵を狩ってたらレベル50以上まで上がります。
主人公への嫌悪感は作品の嫌悪感になり得るYIIKの主人公は20代男性のアレックス。チャームポイントは髭と赤毛と眼鏡とチェックのシャツ。
大学生活を人より長く楽しみ、卒業後実家に戻って職も無くだらだらと過ごすセカイ系アダルトチルドレンな、
あまり人に好かれるとは言えない性格の若者です。
90年代のゲームのみならず、所謂世に言うセカイ系みたいなのも意識しているのでしょうか、
アレックスは終始長台詞で状況説明や心情の吐露をするのですが、
この台詞回しに関しては、キャラ付けという範疇を超えてかなりの分量になっています。
意識高い系という括り方はそんなに好きじゃないのですが、何と言うか、青臭いと言いますか、
燻った若者独特の回りくどくて中身の無い、雰囲気だけ賢く見える長々とした言い回し。
全く持って人の事が言えず耳が痛いことこの上ないですが。
そういったテキストが全編通してかなり流れるのですが、
それが主人公や仲間達への理解へ通じているかと言えば、NOと言えます。
大概の人は「はぁ?」「それで結局要点は何ナノ?」となるような
とりとめがなく高尚で無駄に冗長な文章の洪水。
しかも、豊富なキャラクターの数多くの台詞の殆どはフルボイス。
これについてはインディー製にしてはかなり豪華で頑張っているとは思うのですが、
いかんせんボイスアクトはあまり宜しくなく、演技力のせいもあって把握し辛い会話が更に辛くなってる部分が感じられます。
最初は我慢できてもそのうち大半のセリフを流して進む様になってしまうことでしょう。
この文章の無駄使いに関してはまさに、
推敲し、切り詰めに切り詰めて必要最小限に結晶化されたSFCから、
必要以上の容量を使えるようになりちぐはぐになってしまったPS1のRPGを思わせます。
そして、その文章量でうんざりさせる張本人の主人公アレックスへの好感度は、
彼の「あまり人付き合いが上手くなく、時々嫌われるような事も言ってしまう」という性格によって確実に地の底まで落ちてしまいます。
各方面に対してちょいちょい貶したりデリカシーの無いことを言ったりする。
それはキャラ造形としては特に珍しくないとも言えるのですが、アレックスの振る舞いは何故か悪目立ってしまっています。
普通こういう話だと、うだつの上がらないいけすかない人間だけど、根は悪くなくて徐々に愛すべき男になる、
みたいなのを目指すものだし本作もそうなんでしょうが、様々な要因によってほんとに愛着が湧かない。
その愛着の無さが作品自体にも影響し、
作品全体の印象にも繋がるという部分は少なからずあるのではないでしょうか。
ゲーム自体の内容からはやや逸れる話なのですが、
本作はゲーム中訪れる街に任天堂の岩田元社長のお墓があったことから物議をかもすという事がありました。
ゲーム内の碑銘でパロディや小ネタを表現すると言うのは、
FFのリンクの墓を筆頭に多くの作品で行われた、言わば定番のネタではあるのですが、
実在の、実際に亡くなった方の、しかもあまり由縁の無い有名人物の墓をいきなり登場させると言うのは、ぶしつけではないかと言う話です。
勿論、悪気の無いリスペクトの意味であるのは明らかかと思います。
YIIKの作者達が日本のゲームが好きでやったことなのは恐らく間違い無く、追悼の意味だろうとは誰もが思うでしょうが、
同時にどこか配慮が無いと感じる人が多いであろうことも明白でしょう。
その配慮の無さが、どこか作中のアレックスの配慮の無さと重なる様な気もしなくもないです。
悪気は無い、リスペクトなのも間違いない、良かれと思ってやっているが、それがどこかしら良い結果にならず愛想を尽かされてしまう。
アレックス=作者 とするのは短絡的ではありますが、
なんとなくそんな印象を受けます。
ポストモダンか先祖帰りか現代的なRPGよりもレトロで盛り上がった若き頃の古き善きRPGを好む気持ちは良く分かります。
しかし、本作はその古き善きに立ち返ることに成功しているのでしょうか。
「アンダーテール」やその他のインディー系のレトロピクセル作品の様に、
温故知新で新しくもどこかホッとするような、そんな作品として新たな価値を構築出来たのか。
PS1初期の、まだ煮え切らないサツバツとした時代にあった、
RPGのロード時間や無駄に長いムービー、謎なシステム、斬新さを狙って苦痛にしかなってないプレイフィール等々・・・
あの時期のありていに言ってダメな要素を数多く思い起こさせるという部分はあるかもしれません。
セカイ系であったりインテリゲンチャであったりあんたバカァであったり、安易で浅い社会問題提起やサブカル志向諸々、
それらも悪い物ではないし、愛すべき宝としてハマる人も勿論沢山いる事とは思います。
しかし、多くのレトロRPGも、現代の最新RPGも、
より多くの人の快適さや楽しさ、そして愛着を持たれるような配慮と匠のテクニックをもって研磨研鑽し、その上でこの世にあるのです。
社会に出る厳しさを知らず口ばっかり達者な若者の苦悩や行き場の無い鬱憤も、
創作に転嫁されれば素晴らしい作品の礎になるものであり、その心情の動きはかけがえのない瞬間を生み出すとは言え、
どんなに魅力的で若いパッションに溢れた題材や問題提起、モチーフであっても、
単にそれを並べるだけでは打ちのめされ、理解されないままになることの方が多いと言えます。
そこに技術や、経験や、他人との関係を築く上での配慮なんかが加わる事によって初めて万人に愛される存在へと昇華される。
それは伝説的なレトロゲーや今の大作ゲーが普通にやっていることと言えます。
アレックスの悩みや失言をプレイヤーと共有し、一緒に冒険させ、お話を心底理解させるには、
そういった地道な努力と推敲が必要であって、セカイがどうこうばかり言ってちゃ大事な物を見逃してしまうよ、
などと、ありがちな説教紛いの事を言いたくなる位には足りない。
ポストモダンが何を指してこの作品に取り入れられたかは分かりませんが、
その部分を丸ごと上記の様な非ポストモダンな要素と取り換えても、恐らくは問題は無いでしょう。
ていうか問題の多くは取り除かれてプレイしやすい物になるんじゃないでしょうか。
YIIKはその名の通りに2000年より前のクオリティに近いと言われても否定はできないでしょう。
その道は既に過去の名作が通って来た道です。
モダンRPGがやれたことを全てやった上でのポストモダンでなければ、
哲学も批評性も何も、単なる足りないゲームとなってしまいかねない。本作はそこを甘く見てる様なフシはあります。
本作には未熟で愛されない部分があります。
その未熟さはアレックスのそれそのまま、社会性や責任感の無さの表れと言えるかもしれません。
作中のアレックスの語る台詞や超常現象、モラトリアムからの世界の終わりなど、
各要素は悪い物ではなく、むしろ素敵な舞台設定となり得るアイデアです。
キャラクター同士の関わりや理解など、もっと丁寧に語ればより深くなったと思う場面は多いです。
(バスの中で知り合ったばかりの仲間が互いの境遇を徐々に語り始めて親交を深め始める場面なんかはよいと思います。)
しかしテキストはそういったもっと語って欲しい物を押しのけ、
己語り・・・ポストモダンな考えに浸って、地道な対人努力をすぐやめて世界の破滅や並行宇宙へ目をやってしまう。
その勿体無さは、そういった若者を見るつまらない大人の目線なのでしょうか。
戦闘のアイデアも、世界観やストーリーの根幹にある物も、多くは間違った物じゃないのですが、
プログラミングの不安定さであったり演技やテキストの拙さであったりで
誤解されてしまったり不快がられたりしてしまうのは勿体無い作品です。
1999年のY2K問題をテーマにしてる割に当時のパソコンやデジタル的な物が結構おざなりにしか扱われてないとか、
バランスと言うか、戦闘に於けるパラメータなんかが色々ガバガバな感じで、
こちらの通常攻撃が異常に弱くてミニゲーム戦闘の煩わしさを加速させてるとか、
そもそもお話がさっぱり頭に入ってこないとか、
惜しいと言うには大きすぎる穴も多いのですが、それでも単純にクソゲー(90年代的表現)と切り捨てるよりかはモッタイナイと言いたい。
それは若者の青臭い情動やサブカルルサンチマンからくるエネルギーを無下に否定したくないというのもありますし、
単純にテーマや一部の展開には魅力があり、そこは評価したいという気持ちもあります。
ただ、間違いなく不十分なクオリティと調整不足があり、
脚本の推敲とセンス、そしてプログラムに重大な欠陥があるのは間違いありません。
多くの時間を消費するRPGに於いて、ストレスフルで納得の行かない物に付き合うのは非効率と言えますが、
そこから何かしらの経験や憎み切れない愛着を抱く人も居るかもしれない。それは認めるべきと思います。
なんだかんだ言って最後までやってみて、
結局最後に残った感想は「
これって現代版里見の謎みたいなとこあるな」という
フォローなのか何か良く分からないまとめなのですが、どうでしょうか?
頭がヘンになっちゃったよ~!
そんな感じで。